東京地方裁判所 昭和44年(ワ)3737号 判決
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〔判決理由〕二 原告の受傷
医師永富公太郎作成の鑑定書及び同人の証人兼鑑定人としての供述(以下永富鑑定という)、医師朝倉哲彦作成の鑑定書及び同人の証人兼鑑定人としての供述(以下朝倉鑑定という)、原告本人尋問の結果と各事実につきによれば、次の各事実を認めることができる。
原告は、事故時三一才で、事故まで健康で、タクシー運転手として正常な勤務を続けてきた。
前記追突事故により、いわゆる頸部むちうち傷害(広義)を受けた。
事故当時、短時間の意識障害があり、ほどなく頭痛、嘔吐等の症状が現われ、自宅で静養した後、頭痛、頭部の圧痛、運動痛等を訴えて、昭和四二年三月二三日田谷病院整形外科医師志村健一に受診し、同日から原告主張のとおり同病院に入院した。
その間、症状は改善することなく、むしろ、事故後約二週間を経て、頭痛が著しく増悪し、運動制限も著明となり、両上下肢知覚異常等の症状もあらわれた。同年八月頃には、体動に伴う眩暈が発現し、これに悪心、嘔吐、さらには意識喪失をも伴うに至つた。
その後、精査のため、昭和大病院に原告主張の期間入院し、退院後田谷病院に入院した後、さらに、豊寿園温泉病院に原告主張の期間入院して気泡浴等の治療を受けたけれども、前記症状は軽快しなかつた。
その後、引続いて、田谷病院に通院して加療するかたわら、昭和四四年五月頃以降、仲原療院、大森治療院、紺野治療院等のマッサージ、カイロプラクティック等種々の民間療法を受けている。
昭和四五年初(永富鑑定の受診時)の容態の要点を述べると、原告には、悪心を伴う左側頭痛(昭和四三年前半頃までは毎日のように発現したが、右受診当時では一ケ月に一週間持続する程度となつている。)、体動に伴う眩暈(中枢性平衡機能障害、その程度は前述)、右上肢の知覚障害、握力低下、右肩関節の運動制限、眼の幅輳不全等があり、これに伴い、記憶力、自発性の減退や易怒、興奮傾向等情意面の機能の著しい低下がみられる。
この容態は、長期の加療にも拘らず、さほど改善されないで、現在に及んでいる。
原告は、事故以来、自動車運転はもとより、その他一切の業務を休んでいたが、近時に至つて、自宅において家族らの営む呉服商の手伝をすることもある状態となつた。
後遺症は、自賠法施行令別表第七級三号、四号に各各該当し、永富鑑定の受診時においては、原告にとつて、右症状による苦痛に耐えるのが最大の関心事であつて、原告の労働能力は、軽易な労務の遂行が数時間位可能なことがあり、爾後三年間位の加療により五年位の後に症状が半減すると推測されている。
以上の事実につき、附言すると、
1 <証拠>によれば、本件追突の衝撃はさほどのものでなく、被告車、原告車の破損も軽微であつたと窺われるが、永富鑑定、原告本人の供述のように、原告は当時追突を予知してこれに対応するような態勢になかつたため、その身体に比較的強い衝撃を蒙つたとみることも可能であるし、いわゆるむちうち傷害において、車体の損傷と運転者その他の者の受傷程度との相関関係がそれほど緊密でないことは経験則上否定し難いところであるから、前記車両の破損状態によつて、前記認定を左右することはできない。
2 原告の前掲症状をみると、自覚的愁訴は多彩であるが、これに対応する他覚的、客観的所見、ことに外科学的なそれに乏しいといわなければならない。
しかし、主たる症状は、他覚的所見によつて裏付けられ(永富鑑定、原告の容態は永富鑑定により矛盾なく説明されているということができる。
ところで、いわゆるむちうち症は、その発生の機序においてもなお解明されているものとは到底いい難いところ、永富鑑定、朝倉鑑定は、その過程、構成においてかなりの隔たりをもちながら、結論において概ね一致するものであつて、この場合、神経精神科、脳神経外科の各専門医である両鑑定人が長期にわたり原告の診療を続けた整形外科医の臨床所見、耳鼻科、眼科等の各科医師の検査所見、心理的判定などを綜合して検討した結果であるこれらの鑑定結果はそれ自体十分な客観性を認めるのが相当である。
さらに、朝倉鑑定の説くとおり、仮に、原告の症状の発生原因の中に心因的なものが否定できないとしても、これら症状は、事故による外傷に基因することに疑いをさしはさむ余地がないから、これら症状による苦痛や治療、労働阻害を考える場合、特段の考慮を加える理由はない。
三 損害額
(一) 医療関係費<略>
(二) 逸失利益計 五〇三万一一七五円
原告の年齢、事故時まで健康であつたことは既に述べたとおりである。
<証拠>によれば、原告は、事故当時その主張の会社に雇われ、タクシー運転手として勤務し、事故前永年勤務を欠いたことがなく、営業収入(水揚)も同社の平均を上廻り、その給与の額は同社のタクシー転転手の平均よりかなり高かつた(昭和四二年で五ないし六%)こと、同社の就業規則では乗務員の停年は五五才と定められていること、事故後原告は同社の業務に就かず、賃金を得ていないことが認められる。
この事実からすれば、原告は事故にあわなければ、定年に達するまで、タクシー運転手として、事故当時の給与及び同社のタクシー運転手の平均賃金のいずれをも下らない所得を得ることができたものとみることができる。
ところで、前掲二の病状の推移、治療経過、後遺症状からみると、原告は事故による受傷のため、事故時から昭和四五年四月二〇日まで就業することができなかつたほか、その後三年間労働収益能力の五六%を、さらにその後の五年間同じく二八を、さらに五年間同じく一四を、さらに五年間同じく七を失つたものとみるのが相当である。
1 昭和四二年三月一九日(事故の日の翌日)から昭和四五年四月二〇日までの給与分 二一四万六〇五六円
原告の事故前三ケ月の給与がその主張のとおりであることは前掲甲第三号証により認められる。これを基礎として、右期間の給与額を算出すれば、二一六万四二九三円となるが、そのうち昭和四四年四月二三日(以下基準日という)以降分について、ホフマン月別方式により計算した基準日の翌日以降賃金支払時期まで年五分の割合による中間利息一万八二三七円を控除すれば、右金額となる。
2 昭和四二年一二月から昭和四四年一二月までの賞与分 二七万八二八五円
<証拠>によれば、前記会社では毎年七月、一二月に賞与が支給されるが、タクシー運転手の平均受給額は、原告主張のとおりであることが認められる。そのうち、基準日以降の昭和四四年七月、同年一二月の分については、前記同様の中間利息二七五六円を控除して、基準日の現価によることにすると、以上賞与の合計は右金額となる。
3 昇給差額分 一八万五一四七円
<証拠>によれば、前記会社においては定期昇給及び賃金改訂が実施され、昭和四三年七月から昭和四六年七月までの間(但し、昭和四三年七月というのは同年六月二一日から七月二〇日の間をいう。以後各月この例による)における同社のタクシー転転手の平均給与月額は原告主張のとおりであることが認められる。
そのうち、昭和四三年一〇月以降にあつては、平均給与月額が、前記1において計算した金額を超えるので、その差額を求めると、昭和四三年一〇月〜一二月が六〇六円(三ケ月で、以下同様)、昭和四四年一月〜三月が四五二四円、同年四月〜六月が一三五三円、同年七月〜九月が一万一三九四円、同年一〇月〜一二月が一万六三三八円、昭和四五年一月〜三月が二万二五四五円、同年四月が八三八三円、同年五月〜六月が一万四八四九円、同年七月〜九月が四万四〇四九円、同年一〇月〜一二月が四万七五九八円、昭和四六年一月〜三月が五万四一六八円、同年四月〜六月が五万〇〇七九円、同年七月が二万五九七九円である。
(1) 昭和四三年七月から昭和四五年四月の分については、右全額を損害とみるのであるが、そのうち基準日以降にあつては前記同様中間利息一九五七円を控除して基準日の現価によると、以上期間の金額合計は、六万三一八六円である。
(2) 昭和四五年五月以降分については、次記4の逸失利益の算定にはその基礎として原告の事故時の賃金を用いるので、前記昇給差額は別に考慮されるべきものである。
そして、右昇給差額の五六%の基準日の現価一二万一九六一円を逸失利益損害とすべきである。
4 昭和四五年四月二一日以降分(昇給差額を除く) 二四二万一六八七円
原告の年収が事故当時において賞与を含めて七八万四〇〇〇円を下らないというべきことは、(二)の冒頭及び2に記したところから明らかである。
右年収を基礎として、(二)冒頭記載の労働収益能力の喪失率に従つて算出すると、昭和四五年四月二一日以降三年間は毎年四三万九〇四〇円、その後五年間は毎年二一万九五二〇円、さらに五年間は毎年一〇万九八六〇円、さらに五年間は毎年五万四八八〇円の収入を失うこととなる。
この減収額につき、本判決の日までは単利、その後は複利で年五分の割合による中間利息を控除して基準日の現価を算出すると、前記金額となる。(高山晨)